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翻訳者のコラボレーション

通常、出版翻訳で共訳をする際は章ごとに訳すのが多いと思いますが、今回、海外で面白い方法で共訳をしている方々を見つけました。翻訳者同士がどのように協力して一冊の本を仕上げているのでしょうか。


川上未映子氏の作品を共訳しているサム・ベット氏、デビッド・ボイド氏のインタビューです。




「ありのままを訳す」翻訳という仕事

読む、書く、どちらにも共通し、翻訳を可能にするのは「じっくりと耳を傾ける」こと


川上未映子氏の2008年の中編小説『乳(ちち)と卵(らん)』は、物語の語り手である夏目夏子と夏子の姉、そして姪を取り巻く複雑で張りつめた人間関係を描写した作品として日本で高い評価を得ている。村上春樹氏をもって「お気に入りの若手作家」と評された川上氏が上梓した同書は、日本で権威ある賞の芥川賞を受賞。川上氏はこの物語をさらに進めたものを『夏物語』(英語版では前作と同じ『Breasts and Eggs(乳と卵)』として新たに刊行した。この英訳版が近く、米国のユーロパ・エディションズ社とイギリスのピカドール社から刊行される予定だ。これは川上氏作品の英訳ものとしては初で、『ニューヨーク・タイムズ』『ミリオンズ』『リテラリー・ハブ』など数ある雑誌で今年期待の新刊として名を連ねている。共訳という形で川上氏の作品すべての翻訳を手掛けているのは、文芸翻訳での受賞歴もある翻訳家のサム・ベット氏とデビッド・ボイド氏だ。両氏は今回のインタビューで、共訳のプロセスについて、さらには川上氏の音楽的な散文や登場人物の大阪弁、女性特有の経験が筋書きのテーマとなっていることなど同作品の翻訳で苦心した部分について次のように語ってくれた。


アリソン・ブレーデン(以下AB):

お二人の訳の主にどんなところがお互いを補っていると思いますか?ほかの作品や翻訳プロセスから、良い共訳者に求められるものはどんなものであると言えますか?


サム・ベット氏(以下SB):

私がデビッドの訳をはじめて目にしたのは、『モンキービジネス』(現『モンキー』)という雑誌です。それを読んだ私は彼にファンレターめいたものを送りました。今ではもう五年ほど、お互いの訳文の読者第一号ですね。訳を読んでもらうときは、プロジェクトによりますが、ぴったり寄り添って一字一句訳を確認し合うこともあります。その場合は、特定の訳語の選定についてお互いに意見し合います。一方で、原文とは離れて訳文のみを読む場合もあって、このときは英文そのものが良い文章として成り立っているかを確認します。私は、翻訳で一番大切なのは共訳者を受け入れることだと思うのです。翻訳という作業はそもそもグループ作業ですし、共訳となると基本的に長期間の作業となります。お互いを信頼して相手へのガードを下げることで自分の誤りも認めることができ、それで初めて成長を得られます。


デビッド・ボイド氏(以下DB):

『乳と卵』をサムと共訳したことは非常に満足のいく仕事でした。そうは言っても、状況次第では共訳がうまくいかない場合もあるでしょう。共訳の体験談を周りの人に尋ねたら、ハッピーエンドより恐怖体験のほうをよく聞くかもしれませんね。サムと同じ意見ですが、私も共訳を成功させるのは信頼だと思います。また、相手の翻訳のやり方に不満を持たないのも大事です。そうしないと共訳はうまくいきません。もう一つ、私たちの共訳が成功した理由には文章の分担方法もあると思います。地の文についての最終的な発言権はサム、会話文では私が持ちました。これで仕事が本当に楽になりました。


AB:この作品の共訳で一番意外だった点はどんなところでしたか?


SB:大阪弁についてほとんど議論しなかった点でしょうか。この本や翻訳の話になるとまず大阪弁について聞かれることが多いのですが。私自身がしばらく大阪に住んでいたことは役に立った部分でしたし、文中に大阪を舞台にしたシーンがあまりなかったことも幸いしています。実際に大阪弁を話すのも主な登場人物だけで、さらに東京に住む登場人物で大阪人っぽく聞こえるようにおどけて話す場面は、翻訳しがいがあって楽しかったです。この本が持つ大阪らしさはその生き生きとした生命力だと思います。物語が自らの創り出すスペクタクルに積極的に絡んでいっているのです。日本の小説に生真面目さや奇抜で落ち着いた雰囲気を求めている読者でも、文中にほとばしる生命力に良い意味で驚くのではないでしょうか。


AB:訳の分担方法はどのように決めたのでしょうか?また、この方法で本作の訳にどんな効果がありましたか?


DB:似たような感じで共訳をした翻訳者の方がいると昔聞いたことがあり、そこから地の文と会話文を分けて翻訳するという方法を思いつきました。どういうわけか、この本の訳を始めて間もない頃にその翻訳者の方の一人にたまたまお会いしたときに地の文と会話文を分けるやり方はどうだったか聞いたら、そんな共訳の仕方は聞いたことがないと言われてしまったのですが。それはともかく、私たちはその時点でもう相当訳していたので、進捗にも満足できていました。


SB:訳の分担はもともとの原文にある違いに沿って行いました。原文では地の文と会話文が異なる言葉使いで書かれているので、それぞれのムラを気にせずに独自の魅力を生かしながら訳せました。主な登場人物で翻訳を分担する翻訳者もいるのとは思いますが、これは物語の語りの方向性がそれぞれ違う場合に限られるでしょう。


AB:夏子はいわゆる女性像には必ずしもあてはまりませんが、『乳と卵』は従来の女性ならではの体験を主な軸にしています。翻訳者の性別が問題になることはありましたか?男性という性別は、翻訳への取り組み方にどう影響した(しません)でしたか?


SB:いい質問ですね。この質問から、翻訳という仕事にはいろいろな特性があると分かりますから。読むときにはその文章の世界にどっぷりと浸り、翻訳をしようにも自分の経験が不足していると思う部分を理解します。次に「書く」という段階では、原作者を代弁する立場となりますから、原作者の語りの雰囲気と自分が選んだ表現方法のどちらにも責任を持たなければなりません。「読む」「書く」という作業で共通し、また翻訳を可能にするのは、「じっくりと耳を傾ける」ことなのです。性別の異なる翻訳者が読めば違う感じに理解することがあるでしょうし、それは日本語のネイティブスピーカーでも同じでしょう。それで私たちは常に、川上未映子という人物が『乳と卵』という本を英語で書くとすればこう書くだろうという視点で訳を作り上げることを目標にしていました。


DB:確かに、夏子の語りからは彼女があまり型にはまらない人物像であることが読み取れますが、夏子はその語りの多くで女性らしさの境界とは何かを探っているのです。この作品の翻訳に面白みを感じたのはこうした部分が大きいですね。こういった部分は基本的に翻訳者がどうにかできるものではないのですが、女性であることや今の日本における女性らしさを単に代弁する人物としてではなく、夏子は夏子であると伝わるようにどう訳せばよいか、熟考を重ねました。夏子は深く考えさせられる語り手で、その彼女らしさを表現するにはその空気感も表さなければならなかったからです。


AB:第一部と第二部の相違点や、第一部が初版から少し改変されている点を踏まえ、二つの整合性をどのようにしてとりましたか?また、この作品の構成や出版の経緯は、翻訳の過程にどのように影響しましたか?


SB:本は基本的に中身がちゃんとつながっているものです。私たちは無理に整合性を持たせるというよりは、原書が持つ一貫性をそのまま生かすことに細心の注意を払うようにしました。話の小さな糸口のすべてが次につながっているとは限らないでしょう。翻訳とは「ありのままを訳す」仕事だと私は考えていて、これが翻訳というプロセスの初めと終わりで最も重要な(同時に最も難しい)部分と言えると思います。名著は何度でも読み返すに値するものですが、翻訳者にとっても繰り返し読まれるということには大きな意味があります。『乳と卵』も開くたびに新しい発見がある本ですね。


DB:全く同感です。翻訳が終わっても、読み返すたびに本は変化しています。第一部と第二部は多くの点でつながっていますが、なかにはすぐにはそうと気付けないものもあります。第二部の翻訳に取り掛かっている最中も常に第一部との微妙な接点を見つけているような感じを覚えました。


AB:この作品の翻訳は、今までにお二人が手掛けた作品の翻訳とはどういった点が似ていた、または異なっていましたか?どんな点が一番難しかった、または驚きましたか?


SB:一つ驚いたのは、全体的にお互いの進み具合がこれほど何度も逆転するものかということでした。私が地の文の訳を始める何週間も前にデビッドが会話文の下書きを書いていたり、またその逆もあったり。それ以外ではほとんど同時進行でした。それでも、初稿の段階で何とかある程度の整合性をとることができました。この点は、原作の生命力にかなり助けられましたね。原文がすべての作業の基準となっていたからです。二人とも、できる限り楽しんで訳すという姿勢を忘れないようにしました。つい厳格な基準を設けてその通りに訳したくなりますが、常に新しい風を取り込んで文章の魅力を引き出すには、いろいろなやり方を試すのが一番だという場合もままありますね。


AB:著者の川上未映子氏はシンガーソングライターとしても活動しています。彼女の音楽的な感性は著作にどう表れていますか?そうした部分の翻訳にはどのように取り組まれたのでしょうか?


DB:『乳と卵』はまさしく音楽的な作品ですね。私たちも日本語本来の音の質感を残すためにできる限りのことをしました。翻訳の作業全体を通して音楽についての話し合いにはかなりの時間を費やしました。仕事中に聴いている音楽や、文章から連想した曲やアルバムなどについて話し合ったりなどです。こうして音楽について話したことで、川上氏の文章がお互いにどんな風に聞こえているかという感覚を共有できました。

SB:川上氏の文体は旋律的で、音の響きやリズム感にもこだわっています。こういう部分も小説を形作る要素だと思います。優れた芸術作品がどれもそうであるように、フィクションは虚構ではなく、自らが創り上げる世界に存在するものなのです。


インタビュー・文:アリソン・ブレーデン

 

サム・ベット:マサチューセッツ大学アマースト校を日本語学・英語学の両方で首席学士として卒業。2016年3月に第2回JLPP翻訳コンクール最優秀賞を受賞。デビッド・ボイド氏と共訳で川上未映子氏の小説の翻訳を手掛けている。


デビッド・ボイド:ノースカロライナ大学シャーロット校日本語学科助教授。これまでに高橋源一郎、小野正嗣、円城塔などの著作の翻訳を行っている。古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート』の翻訳で2017/2018年日米友好基金(JUFSC)日本文学翻訳賞を受賞。サム・ベット氏と共訳で川上未映子氏の小説の翻訳を手掛けている。


アリソン・ブレーデン:作家兼スペイン語翻訳家。アルゼンチン代表としてアシンプトートの広域編集委員を務めるだけでなく、『シャーロット・マガジン』の編集者、学術雑誌『通訳翻訳研究』の編集助手としても活躍する。彼女の記事は『コロンビア・ジャーナリズム・レビュー』『デイリー・ビースト』『アシンプトート』『スパニッシュ・アンド・ポーチュギーズ・レビュー』などに掲載されている。


Article from ASYMPTOTE

Translated by 飯田七重

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