娘から母へのインタビュー
「フェミニズム」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか? 女性の権利を声高に主張する思想や活動として知られていると思いますが、それは一体どういうことなのでしょう。自分はフェミニストだという現代に生きる娘と、昔のフェミニズムの時代を生きてきた母親の会話には様々なレベルでのギャップがあるようですが、翻訳をする際にも大切な「どこまで深く理解するか、理解しようとするか」という作業も、このインタビューと似ているかもしれません。
日本での「フェミニズム」の解釈は? 海外での「Feminism」の解釈は? 今の自分の解釈から出発し、娘と母親の会話を通して、一つの言葉とそれを取り巻く様々な状況に対する考えを深め広げてみませんか?
数か月前、私たち家族はインディアナポリス市中心街のレストランに集まり、ヨガ・リトリートのために市外から来ていた友人たちと夕食を共にした。ゴングメディテーションの話をしたり、ハンバーガーに没頭したりするなか、私は今度のルース・ベイダー・ギンズバーグの特別番組が楽しみだという話をした。すると母が含み笑いをしながら私たち姉妹にこう言ったのだ。「彼女が戦っていた当時のことなんて、あなたたちにわかるのかしら?」 この母の言葉に私は驚いた。私はフェミニストで、フェミニズムの集まりに参加し、フェミニズムの授業でその歴史を学ぶ努力を人一倍重ねてきたからだ。母とも、一緒にコーヒーを飲みながら、また、どこかへ出かける途中の車内でもニュースで流れる出来事について意見を交わしているのに、私のことをそう思っていないのだろうか。この出来事があり、私は母が何を考えているのかを知りたくなった。そして今回、フェミニズムについて、母とは世代も育った環境も違う私の物事に対する見方や考え方などについて、母にインタビューをしてみることにした。
まず、私が興味を持ったのは、フェミニズムに対する母の考え方だ。母は第二波フェミニズムが巻き起こった70年代を生き抜いてきた世代だが、そうした環境は、現代のフェミニズム運動に対する母の見方に影響を及ぼしたのだろうか?
私が生まれたのは1962年で…、色々な出来事をニュースで見たりしていたわね。ときには母と祖母がフェミニズムについておしゃべりしてたのも聞こえてきた。よくテーマになっていたのは、全米女性機構(National Organization of Women、略称NOW)の創立だとか、当時の同一賃金を求める運動や、女性の社会進出や平等な雇用機会を得るための運動だとかね。
私は圧倒された。フェミニズムの歴史的な出来事が目の前で繰り広げられ、その瞬間をテレビで目撃していたなんて。しかし、今この時代に起きていることを考えてみると納得し「私自身も歴史的瞬間の目撃者なのだ」と思い直した。この数年間でも、婚姻平等法の制定やウィメンズ・マーチ、クリスティーン・ブレイジー・フォード教授の告発といった出来事が起こっており、そのどれもが今後、歴史に残るようになるのだろう。母は、私たち姉妹が自立した人間になるように育て、そうなってほしいというメッセージがきちんと伝わるように、手本になる人たちとの出会いも作ってくれた。それなのに私は、自分の家族が歩んできた歴史も、私が影響を受けた女性たちの人生の経験や残してくれたものについてもよく知らなかったのだ。 私の家では、女性がパワフルだったの。たとえば、祖母はソーシャルワーカーだったのだけど、退職してからは最後に連れ添った夫と一緒に30戸の物件の賃貸事業を始めた。退職してからもなお、会社経営を成功させた人だった。やり手だったから地域の人たちからの人望も厚くて、男女問わずみんなが祖母のところにアドバイスをもらいに来ていたし、政治的にも大きな影響力を持っていたわ。強くて発言力があり、会社も経営する女性たちがいるなかで私は育ったのよ。
一人の自立した人間として思想をもち、消費をし働きながら生活をする––––このような人としての基本的な価値や権利を求めて耐えてきた女性たちの苦労を知っているだけに、勇気づけられる話だった。でも、この話には続きがあるはずだ。ワーキングマザーだった母の人生が平坦な道のりだったわけではないのだから。
私は、大学に行くのも仕事をしたければ仕事に就くのも、当たり前だと思っていたの。でも母の場合は、そうしないといけなかったから働いていたのよね…だから私に子どもが生まれ暮らしに余裕がでてくると、母はてっきり私が仕事を辞めるものだと思っていたようだわ。実際辞めることもできたし、その選択肢はあったけど、母の時代にはなかった。私は結局、あなたの出産予定日でも仕事を引き受けたけどね。
私の家族の女性たち、なかでも祖母と曾祖母は、自分の仕事をもち家族の生活を支えていたが、その当時としては珍しい女性の姿だった。でも、それを自ら選んだわけではない。必要に迫られた結果なのだ。昔の女性たちは、本当に自分がやりたいことや成し遂げたいことがあっても、経済的な事情で出来なかったのである。ここで、ある疑問が湧いた。そもそも彼女たちは自身をフェミニストだと思っていたのか? 男女は平等だと信じていても、それにそぐわない人生の決断をしなければならなかったのだろうか。根っからのフェミニストである私には耐えられない話だ。
当時の女性たちに尋ねたならば「女性の権利」に賛成だと答えるだろうけど、自分たちをフェミニストという言葉に当てはめていたとは思わないわ。フェミニストという言葉にはなんとなく「憎しみ深い」というイメージを持っていたし、一部の人は「好戦的」いう印象すら感じていたのよ。
好戦的で押しが強く、憎しみ深い。フェミニズムは何十年もの間、こう非難されてきた。こうした言葉でフェミニズムを表現するなど私には考えられない。だが、女性の平等を実現するという自分の熱い想いを誇りに思っているため、ある意味、こうした非難も誉め言葉だととらえている。非難されることでフェミニズムのメッセージが世の中に届き、フェミニズム運動に関わる女性たちの固い信念も広く知れ渡るようになったのだから。最近、私は「怒り」についてよく考える。特に「女性が抱く怒り」や「不公平さに対する怒り」についてだ。不公平な状況下にいた大勢の人々や、もっと前の世代の人たちがしてきた経験などから生まれた運動は意味のある怒りとして正当化されてきたが、これについて母は一体どう思っていたのだろう。私はフェミニストになるように育てられたと思っていたが、果たして本当にそうだったのか。それとも、いつも自立した女性たちが周りにいたから、たまたまフェミニストになっただけなのか。よくわからなくなった。
そこで、母に自分のことをフェミニストだと初めて思ったのはいつだったかと尋ねてみた。すると返ってきたのは意外な答えだった。
そうね、自分のことを「フェミニストだ」と口に出して言ったことは一度もないわね。私はフェミニストなのかしら? 確かにフェミニズムの主義には賛同しているわ。私が思うフェミニストは、平等ではないと思ったらその状態を変えようと女性の機会向上のために主張する人たちのこと。そう考え行動も起こす人ね。そうなると、私はフェミニストだといえそうね。
母が自分をフェミニストと思ったことがないなど、考えもしなかった。私からすれば母は間違いなくフェミニストなのだ。そして、結局は母もそう思っているとわかり安心した。母には、愛情を込め全力で子育てに励んだ一人の女性であるより、フェミニズム運動を支えてきた一員だと思っていてほしかったのである。
母と私が同じような考えをもっていることはわかったが、あの食事の席で母の口にした言葉がいまだに頭から離れずにいた。私が経験してきたフェミニズムや信じている大義は、母の見方と何かが違っていた。母からすれば、私がフェミニズムについて十分に学んでいないように見えるのかもしれないと思い、私のフェミニズムに対する考え方をどう思うのか、また、私と母とは「女性の権利」の捉え方が違うのかを聞いてみた。
フェミニズムとの接点はあなたの方がもっているわ。フェミニズムの歴史やそこに関わってきた女性たち、そういう題材の本を書いた人たちなどとね。知識も私よりずっと豊富ですごいなと思うし、誇りにも思う。ただ、ちょっとつながりが薄い気がする。フェミニズムの功績とではなく、昔の女性たちの暮らしぶりだとか、苦難に耐える当時の様子だとか、彼女たちが果たした役割について、彼女たちが我慢しなければならなかったことや、露骨に行われる性差別とどうにかして折り合いをつけないといけなかったこと。そういったこととのつながりが薄いんじゃないかしら。
母の言う通りだ。本から得た知識と、実際にその場にいて心の奥深くで直に感じた経験とでは、比べものにならないほど違う。以前に男性とフェミニズムについて話したことがあるが、その時この違いを肌で感じた。男性には経験がないため私の考え方を理解してもらえず、憤慨して帰ってきたことがあったのだ。
そうなると、私たちの世代のフェミニストがこれまでの進歩にどれだけ満足しているかも、ゆがんで伝わっていると思う。まだ完全に勝利したとはいえないけど、あなたの世代も進歩を実感していて、不安もなく前向きな気持ちで前進してきたと誇らしくなるでしょう。だけど、あなたも仲間の子たちも、まだ勝利していないのに引き下がろうとしているとか、主張が足りないとか、そう考えているように思えてしまうの。その通りなのかもしれないけど。
私は未来ばかりに目を向けていたので、過去を振り返っては全然前に進んでいないと思っていた。女性たちが耐えてきたあらゆる苦難を意味あるものとするためには、すべてにおいて勝利しなければいけない。そうしてこそ、すべてが報われると考えていたのである。しかし、これまで成し遂げてきたことを振り返るのも大切だ。フェミニズム運動は、始まり・途中・終わりといった段階にはっきり分かれているものではないし、他の運動と切り離し、歴史的背景を無視して理解できるものでもないのだ。
フェミニズムは、今も休むことなく前に進む、様々な事柄と関わりが高い運動である。私たちは過去のリーダーたちから引き継ぎ、フェミニズムの目的達成に向けて着実に前進していかなないとならない。「現代の活動家の姿や、若者が積極的に参加し戦う姿を見ていると希望がわいてくる」と語る母の言葉には、優しさがこもっていた。
私が思うのは…あなたたちの世代の女性はいろんなことに取り組んでいて、とても活動的だということ。本当に心から尊敬しているわ。今まで成し遂げてきたことにも、ましてやこれから成し遂げるであろうことにもね。
Article from Feminist Campus
Translated by 飯田七重
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